超地獄教師 あとがき

ちょうじごくきょうし――あとがき


暑い夏にはスプラッタな暴力官能小説で ロマンチックに?

マンガですよ。現実感ゼロの妄想ですよ。非日常なエロ・グロ・ナンセンス。メッセージ性ほとんどなし! 特殊でニッチな性的妄想が大好きなもので。
ファンタジーは適度にぶっ飛んでいることが重要。
薄い設定。描写がやりたいこと。
今回のやられ役は殺人狂モンスター女悪魔教師。人事不省になってもいいでしょ。悪魔だしさー
この後はヒロインの子分になるよ。(負けた敵キャラは味方の駒になるという少年漫画方式)
スカッとさわやかな読後感にできた!と思うのですが。

『殺られた本人が犯り返す』 復讐の動機として、これ以上は無いのでは? とはいえ、変な話過ぎて、常識的なのか非常識なのか、よくわからない。。。

ナニかの刺激になれば幸い。
html文書の小説は古風。

サブカルチャーではグロと暴力シーンは必然。マンガ家・アニメ作家はグロシーンが大好き。受け手も、どれだけ世代が入れ替わろうが、慢性的に需要。激しいのは若年層はみんな好きでしょ。原初的、原始的、動物的本能が刺激される。
ただし、暴力と演出のサジ加減を間違うと、凄惨で陰々滅々なだけの恐怖とホラーに。



<以下は余談 ミニコラム〜 死体について>
解剖学者 養老孟司先生のエッセイ。近代都市生活には死体がない。これは「本当は不自然なことだ」と。あまりに日常生活には死体が無いため、当方はブッキッシュな、書物を通してしか死体や死を知らない。現代人は死体慣れしていない。体験すれば慣れるのでしょうが………… とはいえ、戦争・災害で死体ごろごろ的な状況はアウトでしょう。
夏場に死体ごろごろでは衛生上よくないし。都市型集団生活では火葬が合理的なのですね。当方は数回しか見てないですが、生身から骨に一気にジャンプする火葬はインパクトが強いです。

<肉食について>
生鮮食料品からは血生臭さを除去。肉食は動物を殺して食べているんだから、一種の欺瞞が有るといえば有るけれど、幸福とは奇妙な、先人達が近代社会が設定した合意のようにも思える。文化的生活とは。
新鮮絞めたての牛肉ハンバーガーを出す訳にはいかないですよね。
ドライブスルーで、牛さんが見えていて、その横で屠殺したてのハンバーガーを直売していたら、気持ちよく食えるかな?
(肉食が伝統の西洋人なら喰えそうだな…… アメリカあたりの牧場ならやってそう。農場&レストランな形で)
魚では、タイやウナギやイセエビやタコやイカを、生け簀を泳ぐ鮮魚活魚を捌く食べ方はあるけどね。

<赤い血について>
赤い血には何か本能的信号が有るものと。「赤色は子どもには刺激が強過ぎる」と言い、赤色を自作品に一切使わないミッフィーの作者、絵本作家ディック・ブルーナの説、ほんとうだと思う。(赤の代わりにオレンジを使うそうです 戦争体験者とのことで、流血の惨事にはうんざりだいう意志では)

<戦争と暴力について>
現代文明とメインカルチャーが「理想と平和」のために捨てた「戦争と暴力」の要素を、サブカルが拾って、かよーな拙作も含め、ロクでもない本音を出しまくることによって、ガス抜きな作品になっているのだと思う。(よくある論ですが)

<サブカルの立ち位置について>
サブカルはメインにはなれないし、ならない方がよい。「本気の本音」であることが「=良いこと」ではない。ある社会にとって、称揚される通念は、サブカルとは対する、優れた「本気の建前」としてメインカルチャーはあると思う。
と、書いたんだけど、ちょっと検索して調べると、サブカルチャー → メインカルチャー と変遷してゆくんだね。文化史では。クラシックも西洋絵画も昔はサブカル的だったり、時代にもよるけど大衆に支持される流行だったり。。。上記の文は当方の狭いイメージで語ってます。

<「戦争」という言葉で挑発について>
『われわれは戦争を求める』とか言う類の、戦後日本の不良サブカル文化人辺りのスカした言説。そんなに戦争が好きならイラク・バグダッドかアフガンに移住したら? 米軍主催で毎日やってるよ。



2010.8.
ひんみり 記

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