エッセイ

創作論メモ


ひんみり 文
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メモ 書いたのでアップします


まず 小説書き 基本的なお約束 三点

「……」「――」です。三点リーダーとダッシュはこれ。当方はウィンドウズのIMEに辞書登録して使ってます。「・・・・・・」「ーー」などは標準からは外れます。外れて使ってもまあ判りますが。

セリフやカギカッコでは末尾に「。、」は要らないそうです。「プロ商業出版の小説は共通してそうなっているわ」 です。

 段落一行目頭は、空け空欄 縦文なら 一字下げ ですか。このサイトにアップの自作小説では当方は行ってません。推敲修正時に面倒なので。良いエディターを使えば一発処理なんでしょうが。

以上標準です。べつにこれらのルールから外れて書いても読めますし、後でいくらでも変更できます。

パソコンの普及で、とりあえず書くだけなら小説から感想文まで誰でも書けるようになりました。道具の壁はなくなりました。ワープロの登場以降、推敲が簡単便利になったのが素晴らしい。この機能がなかったら当方は書けない。原稿用紙では無理。


このページ内の内部リンク 長くなったので ジャンプします








 
その1 当サイトBBS/掲示板から当方書き込み分のコピペ・メモ 当方の知る創作論あれこれ


小説ですか。架空の世界を描写する際は、思いきって断言する 言い切るのがコツだそうですよ。
ウソの世界ですから。
そのフィクションの中でもっともらしかったらオッケー。

主人公が現実には不可能なウソを断言しているケースは過去の有名作にも多々。

コナン・ドイルの『まだらのひも』のシャーロック・ホームズのヘビの説明が
現実にはありえない大嘘だそうですが、作品の世界では名探偵の正しい推理なわけです。
それで良いとおもいます。

あと、亡くなられたプロ小説家の伊藤計劃氏がブログで、
小説では女性キャラのセリフは文面で判るように「ですわ」と「わ」を付けると解説してました。現実の女性のリアルさとは関係なくテクニックとして。これは知らなかったです。
一人称は「あたし」「わたくし」「わたし」あたりでしょうか。

日本語の小説に特有のテクニックもあるんですね。



メモ というか感想ですけど

菊地秀行御大の、昔の超伝奇エロス&バイオレンス作品、上手いなあと思いつつも不満が……
殺伐ハードボイルド過ぎ。死亡率が高すぎる。どうもバッドエンド。
氏のルーツのひとつが山田風太郎の忍法帖、忍者超人対決の連続なので、死亡率がたいへん高い。
自作はなるだけハッピーエンドもので行きたいなと。。。



当方が持っている山風のエンタメ小説は『くノ一忍法帖』 あとはエッセイや対談などいくつか。
肉体的、生々しい、触感的、汁っぽいのが特長。

風太郎は京大医学部(後日訂正 正しくは東京医科大)におられたそうで、
医学知識を活かした大ホラ。初期の作品では医学を前提にした面白い忍法だったのが、
後期はただたんにホラで面白い忍法になったそうです。しかし死亡率が高い。

軍国青年だった戦争体験のトラウマ。作品はレクイエムらしいです。

インテリが書いた大ウソの日本史。
戦国時代から江戸時代の史実を踏まえて大きく逸脱してまた回帰する芸風。
教養人インテリですね。

大腸を露出ってw 未読ですが思いつきませんw おいおいw

ご指摘のとおりで、菊地御大のエンタメ作品のキャラはかなり曲がってますよね。 エロスの部分を抜いても、そのキャラ造形が魅力なんでしょうね。


ウィキペディアを読んできたところ 山田風太郎 東京医科大学 でした。訂正します。両親を早くに亡くしている 戦争の時代の疎外 史実と虚構との交差 など記述されてますね。あと、筆マメなんですね。毎日日記。原稿焼却はもったいない ですが、ドライなところが美意識とセンスと矜持なのかな。



>タガが外れたもの書くのって、きっと理路整然としたもの書くより難しいんですよね

どっちも難しいように感じます。
小説は受け手の人が50%想像力で補完する芸術ですので。絵は読み手が描いていますよ。




ドライブ感のあるものを多少なりとも作りたいと思っていますが、
ドライブ感がどうやったら出るのかしら? 脳と体の調子で決まるような……
ノリノリで作られた、技量技巧も輝くような先人のプロの作品はうらやましいです。憧れます。

プロ作家の方々、シナリオ作家や小説家の方はどうなんでしょうか? 
エロゲ方面では文量を目方でテキストを作る業界みたいですけど。。。キロバイト。

個人的な好みですけど、長い文章が嫌いで、エロいのが引き締まって投入されている表現が好みです。
文章の長短は個々人の好みと思います。少し脱線しました。

文章 小説 落書き イラスト 音楽 アニメ 映画…… 各種芸術表現はありますけど、
結局、素材を編集し、配置しているわけですよね。
各芸術分野の先人が開発定型化したセオリーとルールとお約束を守りつつも、少しづつ破調しているものが、 面白いと感じるようなんですけど、難しい です。




お約束は守りつつ 予想は裏切るでしたっけ?? オタクなアニメ批評あたりに、よくある芸術論だと思います。

ググったところ、

「予想は裏切り、期待は裏切らない。」 グラップラー刃牙のキャッチコピーですか。
名は知ってますけどほぼ未読の漫画です。

娯楽作品の理想。出来たらスゴイけど難しいっすよ ええ


知らない小説家さんですけど、おっしゃるとおりです。

雑家屋・鷹見商店 小説講座「読者の期待を裏切るな、予想を裏切れ」
http://takazaka-enokino.blog.so-net.ne.jp/2012-03-24

当方がこのレベルで、これくらい説明したかった。
娯楽作家が何で競っているのか? 程好い適切な説明。

こっそりリンクを貼っておきます。。。

「予想を裏切り期待に応える」 三谷幸喜の言葉という記載もありますね。広く知られたセオリーのようです。

あらためて記すのもなんだかという、娯楽作品の基本でしたね。
素材・アイデアあたりのつれづれ ハリウッド映画の「感情曲線」など




「映画 感情曲線」でググってトップに来た、ハリウッド映画の脚本の説明。

『東大オタキングゼミ』1998年4月15日版 ・1997.Toshio Okada
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/multi/No4.html

先方に、知られたくないので、直リンク無しで貼っておきます。
出版した著書を無料で公開している太っ腹なコーナーです。

昔読みました。なつかしい。後半の一部文章が重複してますね。コピペミスかな。

元オタキング氏は高度成長期の大阪で成金的に成功した土建屋さんの息子。
40畳の自室に本が大量あったそうです。通俗の知識人にして商魂たくましい商売人。
母との確執があったようなうろ覚え。
アニメ・ゲームの制作会社ガイナックスのたしか初代社長。

経営者ですね。
アニメ・プロデューサーとしては赤字が多かったそうなので、厳しい自己評価だったような。
商売気はあるのに、作れば作るほど赤字、凝ってやりたいことをやってしまう。
当時のガイナックスはパソコンゲームを売って黒字にしたそうです。



素材・アイデアですが、菊地秀行 山田風太郎あたり、医学知識や仕入れたオカルトネタを次々投入。
当方もまあ拙いんですけど、学術的記述を入れると、何となくそれっぽく読めるように感じます。
ハッタリズムのひとつだと思います。

この説明は作品世界の中で説得力を持っていればかまいません。
菊地秀行も山田風太郎も、そのほかの作家も 物理学的、医学的、科学的にはメチャクチャですw

菊地秀行の初期中期の作品は、古今東西の伝承伝奇の材料や、
オリジナルの設定や小道具を、惜しみなくぶち込んでますね。

かなりの専門的知識を投入しつつ壊れているw 大ウソをついている作品が魅力的です。
山田風太郎がこのタイプの大衆通俗創作の第一世代じゃないかと。
瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」が、インテリがガチで創ったエログロ。理系の大嘘w
すごくパワフル。エロいです。嫉妬します。

やられ役の看護婦さんがかわいそうだなという一読者の印象。
ホラー小説だからしょうがいない、怖がってもらわないとホラーじゃないですか。

やられ役の看護婦さんが大活躍するヨタ話でも二次的創作すればいいか。
おまえが作れ ですね。
夜叉鴉のように不死身のエロスとなって復活 みたいな。このように妄念妄想を抱くわけです。
この種の妄念妄想が、ごく一部分ですけど、拙作になったりします。

などと、投稿してみました。かなり、つれづれ。



文体は、純文学では、それが小説家の勝負で命らしいです。
文体を外し、おそらく翻訳しても残るのがストーリー展開、キャラクター造型、設定、アイデアでは。

エンタメ小説では文体はそんなに重視はされないかと。

でも、大衆作家も文体はありますよね。2ちゃんあたりで、○○風に語るスレ で、真似できちゃうのが文体。

カオスなもの。一読者の嗜好ですけど 菊地秀行 >>> 筒井康隆
非理性的なイメージの奔流があるほうが好きです。というより気持ち好いです。

筒井御大は巧いですけど、どうも。非常に理知的。
破綻寸前の言い回しや描写が好みです。




まあ、創作に関する、ウケウリなんですけど、うまく書けるかな?

立花隆『「知」のソフトウェア』
30年前の新書ですけど、ノンフィクション作品の取材から原稿までの説明なのですが、
小説から他の芸術でも当てはまるだろう、抽象度の高い解説。
後半の内容が古びてないです。

当方は、昔、文章の書き方をほぼ全くというほど知らず、書けなかった者で、この本を強く参考にしています。
後半の文章の書き方ほかの指南ヒントが、参考になるかも です。
たぶん105円で古書店で売ってます。お気が向いたら、またパラパラ見てください。

インプットとアウトプット について語る章があるのですが、

結局、表現創作は、素材、材料、先人達の作品文章を、頭の中に入れて、
何か出てくるかもしれない。人間知性の闇鍋。
出力は、何が出てくるかは不明。
脳と体と心の中身は不明。神秘。個体差がでかい。
日本だけでも一億二千万人もいますからね。
よくわかりません。良い表現が思いつくかどうかは。

(あるいは個体差が小さいとも。アイデア発明競争で新しいネタを思いつくのは難易度は低くはないです)

闇で神秘であるところが面白い訳です。
人間知性に、情報を入れると、何か出てくるわけです。
創作創造であるわけです。

平成日本の庶民も今は教育レベルが高いですから、
草稿 ドラフト的な文章なら皆さん書けると思います。
(当方はメモ類がとっちらかってます 成仏させてあげたい できるなら……)

脱線ですが、当方は、立花隆には好悪両面です。
バイアスのある党派派閥的な東京の権力周辺の年長者だったんだなあ、批判対象への使い分けに幻滅が。

話を戻します。で、文章の整え方、記述方法ですが、

ある程度文量が書けるようになると、削るのが編集者の仕事とのこと。
文章は削った方が良いという主張。

淀んでない流れを作れたら、素晴らしいです。

雑誌?編集者時代、誌面枚数が決まっていて、原稿は字数オーバーするものらしく、
他人の原稿は無慈悲にすぱすぱカット出来たそうですw
自身の原稿をカットする時には泣く泣く削る。
週刊誌月刊誌のノンフィクションでは、取材し原稿にするため、
苦労した材料を削るのは痛みを覚えるようです。「血が出る思い」と表現。

あと、

コンテ派 と コンテ無し派の二大対立

文体は個性で衣装でかざり とか、いろいろ示唆意見。

当方の文章ですが、
長文になると、とっ散らかる のが特徴です。整えるのに苦労が。
頭から順番に記述していけば、そう矛盾する文章にはならないのですが。

ちょっと読みにくいのは、三つ四つのバラバラに書いたメモを組み合わせているから です。

小分けしろよ オレ です。

自作創作小説でも似たようなコンフリクトが……




メモしたので投下。。。

立花隆『「知」のソフトウェア』少しだけ引用。冒頭の書き出しは、
「一般論が成り立たない分野 これから語ってみようと思うのは、知的情報のインプットとアウトプットを長年にわたって生業としてつづけてきた筆者の個人的な覚書のようなものである。」

「筆者の数だけ多様な方法論」
「個人的体験から得た個人的意見、私的なメモ」
「人間が個性的な存在であるから」

といった感じで 知的生産のインプットとアウトプットの最適な方法は 個々人で違いますよと、
この本では、何度も断ってます。

「読む価値のないものは読むな。」は、従ってないなあ。
読む価値の低そうなコラムやらまとめ記事やら文章もよく目にしてます。

氏の文章文体はわりと好き。機能に徹していて読みやすい。男性的文体かな?
メタですね。説明する文章も説明の例題になっているという自己言及。

当方は、このBSSに投稿した文章を、あらためて自分でよみ返しても、機能的な文章を書くのがほんと下手です。

引用 立花隆「「知」のソフトウェア」

「自分の文章を百パーセント客観的に読むということは至難の技である。
だから、我々のような職業的物書きの場合でも、
編集者と校正者が読んで、おかしなところをチェックするのである。」

他人の目に晒すと色々見えてくるわけですね。


先日リンクを貼りましたラノベ作家の方のブログから、
当方には面白かったエントリでしたので、もう一つ貼り。

雑家屋・鷹見商店 自分の面白いを信じるということ
http://takazaka-enokino.blog.so-net.ne.jp/2012-08-22


「伝わる文章」にするには、サンプリングとして身近な他人に読ませろ という主張。おー ごもっとも。
まあでも、アダルト表現ありの場合では恥ずかしすぎますw

他人の目に晒せ 方法ですけど、当方当サイトはネットでドキドキしながら拙作を公開しているわけです。
趣味のページなのでまあ気楽に運営させてください。

立ち位置はだいたい低く置いております。 特異なモノを少量生産している者です。ああドマイナー。。。









 
その2:新規メモ 創作論で参考になったトゥギャッターまとめの紹介



http://togetter.com/li/176861
2011-08-20 榊一郎戦先生による創作論:「世界観」「キャラ設定」を「エピソード」レベルに落とし込むプロセス


創作論など振ったので、ググったところ、上位でヒットしたトゥギャッターまとめのうちのひとつ。
榊氏、当方は知らない作家でした。

収録ツイート数多めで、ラノベ一冊分のプロットをリアルタイムで考案する芸を披露という、プロ作家の異能を見せつけてます。ちょっと脱線しますけど、才能能力のある人は才を示すべきだと思いますよ。資本主義社会。先進国。文化大国。

やや長いまとめですが、ラストは立花隆と同じ主張で、個々人で違うので、あくまで商業作家の私はこういう手法と思考で生産します というもの。

「私の創作関係のツイートを頭からそのまま信じる事はしないでください。」
「万人に対して有効な方法論ではないです。なので、私のやり方を「無理に」真似る必要はありません。」


私の場合はこうですよ あなたの場合にはわかりませんよ と断ってます。人によって違います。

職人芸。テクニカル。作劇マシーンです。
過去に読み視聴し体験した、脳内データベースから、お題・注文・発注を受ければ、商業化可能な小説・脚本を生産。

インテリ。理知的。ロジカル。来歴は、東大寺学園、阪大卒。神童秀才エリートな方でしょうね。

ひとつのアイデアから演繹・帰納で、起承転結小説一巻分まで作ってしまう技能。三題噺からプロット創出が特技のようです。
数シリーズを手がけ100冊! ラノベ版21世紀の手塚治虫のようです。

商業作家プロは量を売る。コンスタントに量を作るための経験則。手法。
同人系作家が必ずマネなくてはならない手法ではないですよ。ねんのため、参考まで。


参考
2010-09-08 榊一郎ichiro_sakaki氏の文章創作講座 2010年9月8日 アウトプットの効用、出し惜しみしないことの意味他
http://togetter.com/li/48620

「プロット」「詳細プロット」「脚本」「本原稿」
四段階に分けて作成。興味深い。本格的に作成する場合の一例は、こうですよと。




 
その3:新規メモ 創作論で参考になった まじめなサイト様を紹介

■一般向け小説のやや硬い創作論のサイト 「近代小説」と特長をほぼ説明されてます。

3−2.会話文、地の文 [2007.10.6]改稿
http://www.kcat.zaq.ne.jp/kd/writing/3-2.htm


会話文 セリフのテクニック 一部引用。

「個性の付け方の基本的な要素は、人称、語尾、方言、口癖など。この四つだけでも相当なバリエーションを持たせられるだろう。登場人物を造形するとき、こういった喋り口調の癖をリスト化しておくと便利。なお、この技術を巧みに使った小説には、夏目漱石の『坊ちゃん』がある。」

日本語の小説、語りの基本ですね。落語も極端に演出。

「言葉遣いひとつで身分や出身地や性格を明確に色分けし、短い小説の中であれだけ多数の登場人物を出して、なお一人一人の印象がぼけない手腕はさすがである。うらなりという、喋らないことで個性を出していた登場人物がいたことも特筆すべきところ。」

余談ですがネット時代になって説明上手な人の説明を知ることができます。どうもです。


1−2.小説とは何か [2012.8.12]改稿
http://www.kcat.zaq.ne.jp/kd/writing/1-2.htm


引用。

「「小説を読む」とは、読者が「叙述」というフィルターを通して「虚構」を読みとる行為なのである(図1)。

一見、確認するまでもなく当たり前な話ではあるが、これには重要な意味が含まれている。」


■虚構の叙述が小説。読者は虚構を受け取っている。
小説の最大特長としてリニアで説明。情報は単線上に並ぶ。

リンク先 (図1)の説明が叙述の基本です。硬い話ですけど。リニアに読み取り解釈。虚構の世界を想像&創造。チューリングマシンみたいな(詳しくは知らない)

(これは小説に限らないな。テキストを読み取り、誤読さえもするのは宗教書や思想書も同じじゃないですか。文系の底なし沼、深淵)

追記挿入 チューリングマシンを検索してザザッと見てきました。テキスト読解とは違いますね。当方が理解する限りですけど。比喩としては不適切でした。

「無限に長いテープと、そのテープに情報を読み書きするヘッド」の組合せ。実用化はされなかった「異形のマシーン」 「アラン・チューリングが1936(昭和11)年に発表」

テープとヘッドは、「ソロバンと人間の手」 「ビデオテープとヘッド」 「メモリとCPU」 に喩えられてました。ヘッドが前進後進もする。なんと。後進もするというのが小説解読とは違う。テープの部分は書き換え可能。なんと。ノートですね。執筆者・作者の著述状態。ヘッドは一つづつ前後に動くという設定設計。一計算ごとに一台用意するらしく、万能チューリングマシン(全ての計算ソフトを実装したマシンかな??)という概念もあるらしい。概念上は何でも?計算が出来るマシン。「無限に長いテープ」というのがよくわからない。(概念上は強力な計算力ありという秘密かな?)

パソコンが、ハードディスク→メモリとOSやアプリに読み込んで、メモリをバンバン更新しつつ動いているのに似た、というかルーツ。「有限のメモリ」を巧く使う。これの基礎か。OSを変えればハードは全く同じでも、全く別の動作、別のアプリが動くようになる(例 リナックス・パソコン)。CPU自体はデータやプログラムの差も、価値や意味や情感など一行も理解していない。CPUはただ数値・記号を操作するマシンに過ぎないという怖さと凄み。ウルトラスーパードライ。電算機。

現行のデジタルコンピュータはノイマンマシンと言うらしく、1930年頃の概念上の存在だったチューリングマシンを改良し実現したものだそうです。

デジタルコンピュータという硬い知性と、人間知性という濡れた知性では、まるきり違う。デジタル処理の場合必ず固定で同じ。ゼロイチでキッチリ正確に処理しているので、同じハード構成で同じプログラムを使って同じ入力をすれば出力が完全に同じ。デジタルマシンの最大の魅力にして欠陥。人間やアナログ機械だと出力がマチマチ。バラツキ。入力→処理→出力が違う。最大の欠陥にして魅力。


人間知性も脳細胞一個レベルなら、ケミカルな反応と処理を予め内臓された手順書・プログラムに従っているにすぎない(細胞一個でもメチャメチャ複雑なんですけど) 猛烈に数が増え、有機的連携の極致にまで至ると、感情や知性が立ち現れてくる。などと、こんなことは、何十年も前から知識人・哲学者・SF作家まで指摘済みでしょうね。以上、大幅挿入おわり

少し余談ですが、立花隆『脳死』まえがきで、テレビと本・書籍とのメディアの違いを説明。テレビ番組では取材インタビューの大半をカット、放送時間の制限があるから。書籍版では文庫本で上下巻、大量のインタビューが収録可能です。情報の圧縮、ハンディで可読性が高く、どこでも読める、本という形態の優れた点はこのあたり。

ちなみに米国などの英語圏の本は、英数字・アルファベットのためページ数が多く、とくに専門書は大きく重いそう。携帯に不便。電子書籍普及の大きな動機と理由のひとつとのこと。(これはネットで拾った情報)

電子ブックは軽く便利ですが、20年後30年後も読めるの??最大の欠点。ハード・ソフトが無くなれば読めないではないか。昔のワープロ機のフロッピーディスクの文書は読み取り困難に。その保証は怪しい。広く識者ほか多数の人が指摘済みですが。


■余談 「総合小説」は、ほぼ小説というジャンルの独占です。

漫画では手塚治虫が複数主人公制のドストエフスキーの総合小説のような長編マンガを世界で初めて創っています。絵柄はディズニーアニメ調で、子供向け児童漫画で無茶しやがって……ですね。赤本時代のSF三部作がとくに有名。赤本は正規の書店ではなくオモチャ屋さんで流通していたそうです。宮崎駿ほかが衝撃を受けています。ライバル視。

手塚治虫は阪大医学部卒ですが、戦時中に促成の軍医を作る医学専門部の出身になります。

ウィキペディアの記述では、「大阪帝国大学附属医学専門部に入学した。医学専門部は戦争の長期化に伴い軍医速成のために臨時に付設されたもので、1951年に廃止」 と、ありますね。

医者の世界に進まれた場合は二番手集団でおそらく出世は難しかったでしょう。漫画創作の才能に賭けたと。20代で漫画王に、お金持ちに。で、虫プロ設立。50人以上のスタッフを雇ったそうで、豪快。美人を選んで雇ったり。おいおい…… 飛び抜けた才でいきなり社長・経営者になってしまったので、社会人の経験がありません。天才のゆえの訓練の無さが後の虫プロ倒産の遠因に。

手塚治虫は子供時代、家に世界文学全集が有ってそれを全部読んでます。大阪市の電気科学館に入りびたったり。父母も漫画を好まれたもよう。昆虫採集マニア。多趣味。映画鑑賞。家に映写機が有り短編映画を上映観賞。ディズニーアニメ好き。アニメ作家になりたかった!らしい(後年、駿のナウシカを黙殺)。母が朗読上手。作劇の才は母親の遺伝かと。入力データがタップリ巨大、アイデアが思いつきすぎて選ぶことに困るくらいだったらしい。歩く作劇マシーン。

絵はディズニー調で、繊細な表情の記号を増やし発展改良させた、描きやすい絵柄、関節のないゴム人間、スターシステムと呼ぶキャラクターの使い回し!(キャラデザの労力が省けます) 描きやすいペンと紙の選択、大量生産に向く合理主義で発揮しています。超人的な大量の漫画創作を可能に。ただし健康管理はメチャクチャで、徹夜が多過ぎ、手塚御大をふくめ門下の有名漫画家は早死です。

ストーリー漫画は小説よりページ数が増えます。漢字多の近代小説が情報圧縮では優れています。榊一郎氏がトゥギャッターまとめで語ってましたが、漫画は一目で説明できる点は圧倒的。

私見ですが、ボクシング漫画には名作が多い印象。漫画と相性が抜群に良いからでしょう。ボクシング小説の名作を当方は知らない。語りでは拳闘の具体的描写がよく判らない。テレビ中継などの動画だと速過ぎてプロの技が素人には判りにくい。ストップモーションの連続の漫画の絵の描写が説明に優れているかと。あと野球漫画も同様。野球小説の名作は少ないのでは。


コラム「近代日本文学の概略」 [2012.9.28]改稿 [2012.8.16]初稿
http://www.kcat.zaq.ne.jp/kd/writing/co04.htm


一部引用。

「西洋における近代小説の起源はセルバンテス『ドン・キホーテ』だと言われている。この作品は騎士道物語に毒されて狂った男のドタバタ珍道中を描いたもので、基本的に通俗小説である。しかし同時に、文芸批判や、騎士道物語の批評、メタ・フィクションなど、後の作家に受け継がれることになる技術の多くが使われている」

「『ドン・キホーテ』は様々な言語に翻訳され、ジョイス、フローベール、ボルヘス、スターン、メルヴィル、ドストエフスキーなど、様々な作家に影響を与えた」


■当方は明治以降の「私小説」は変だと思っています。日本でのみ発達。ユニークさ。なぜ身辺雑記? 作文で名文美文ですよ。作家ごとに独自の文体があり、文体は飾りであり装飾であり、作家本人が主人公で「小さな神」の遍歴を叙述するという。それもそれなりに読者がいて、魅力なんでしょうですけど、近代小説なのだから「大の字が付くような虚構を描いてくれよ」とも思うのですが。

安倍公房、村上春樹は、シュールリアリズム。よく知らないのですが中南米発祥のマジックリアリズムの手法。国際文学。作家は 独自の幻想的な世界を創る というのが、20世紀以降の世界文学の一大潮流、特徴のようです。(もう一つ世界文学か純文学の潮流があったんだけど、なんだったけな? 濃密な業界体験に基づくドキュメンタリーだったけ??)


3−1.人称(視点)について [2013.6.21]改稿 [2013.5.29]改稿 [2012.9.19]改稿 [2012.6.30]改稿(補足を追加)
http://www.kcat.zaq.ne.jp/kd/writing/3-1.htm


■人称のちがい。小説という表現手法に特有の問題かと。かなり硬い話。


■余談 筆者サイト主さん、リンクについて 「当方は逆探知して、自分の文章がどう使われているのか情報収集をするのが大好きです」 と、断っておられますので、当方成人向けサイトなのでこっそり貼らせてください。なお、ネット上の情報は原則公開と理解しています。ハイパーテキスト。(この言い回し なつかしい)

創作には批評がともなう。素材・材料・情報の取捨選択には批評眼が必要だから。過去作品からの文脈継承も価値判断を行っています。商業作家から一般の人までどんな語り手も批評性を含む。この創作の批評性をどなたがうまく言っているだろうか? 有りそうですが。

あと、批評家も批評に晒される。批評の無限連鎖。

他にもネットで見かけた創作論系、作品批評系のサイトを紹介したい。また気が向いたら。



手塚治虫の感想が多くなったので、ベタなまとめ先ですが。参考

手塚治虫 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB
手塚治虫とは (テヅカオサムとは) - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB

後輩や同期の漫画家が大出世大活躍したので、後代の者から見ると神格化が激しいんですよね。。。(後輩出世で神格化は夏目漱石も似たパターン) なぜ生きているうちから「マンガの神様」だったのか? 子供の頃は不思議でしたよ。わりと俗な理由でした。第一人者は荒波を被る。理由は…… また後日。



2013.6〜10 記 10.27アップ 10.28一部修正

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