大数学者カントールの研究された数学では「究極の無限」というものが設定されており、(用いられる)表記は アレフ と言う。正しい数学用語。(某新興宗教団体はこれもふまえての名称採用でしょう。検索等で混じるので、うーん、感心しない)
現代数学の標準スタンダードであるはず。古代より未整理であった「無限」というものが整理された。知の勝利 ってとこですか。
謎の多かった、ガリレオが少々手を着けていた程度の「無限」という分野を、古代から中世まで、長い間未開であったジャンルを、数学界の暗黒大陸を切り開いた、知の開拓者です。知の探検家。パイオニア。
数学における「濃度」という概念に最初に出逢った人物のはず。
数学界の、これ、英雄である。数学クラスタ後進後輩たちからも尊敬されているだろうなと。偉業です。
ただ、「無限」をめぐる議論では、ついに到達してしまった 数学の辺境 に見えます。
既存の数学の枠組みから飛び出している。
カントールの連続体仮説の解答は、「真とも偽ともいえない」 という、数学にあるまじき意表をつく解答。通常の数学の範囲を超えているもよう。
約60数年かかって解決。連続体仮説に関してましては、20世紀初頭にこの問題を数学界第一級の重要問題とした、かの大数学者ヒルベルト先生はすぐに判るんとちゃうの?的な予測をされていたらしく、この予測見立てに関しては大外れですな。
カントール クルト・ゲーデル コーエン 大天才三人がかりで攻略した難問。
話は外れますけど、数学の雑談では「予想」とは書きにくいな。数学者による数学上の「予想」はいくつもあるため。よき問いとされるはず。昨年のABC予想の報道で目にしたんですけど、ABC予想の文に「高々」と登場するんですけど、これ、「高々」は日常的表現っぽいのに数学用語。専門的表現。なんと! 一見さんには判んないよ(笑)
あとですね、●「数学的帰納法」は帰納ではない演繹であるって、おい!名と違うやないか! ●「楕円曲線」は楕円ではない とか、これも名称と内容がちがう! 初見の一般人・学外殺しのトラップがけっこうあるやないか です。究極の頭脳労働の業界。ただし「数学者」という職業が分離され誕生したのは近代前夜になってから。比較的新しい職業。
数学界の難問、連続体仮説に決着をつけた数学者コーエン、フィールズ賞受賞です。数学界で最高とされる権威ある賞。「コーエンの強制法」はウィキペディア日本語版でも、まあ読めますが、強烈に難しく、お経です。こんなん、日本人あるいは世界人類の99.9%は理解不能の理論やろう。
数学徒やないんで聞いた話ですけど、現代数学とはおおむね集合論であるそう。最先端の現代数学の偉業は、メタな数学になっているらしいんやけど。当方はそれらの知の果実を一生理解することはないでしょう。しょうがなし。現代の学問各専門分野は高度なのね。
理学では「無限」は基本的に取り扱わないはずなので。この世界この宇宙は「有限」であるため、「無限」の出現は避けるはず。基本的に無限が出ような数式は使わぬはず。だって、ナンセンスじゃん です。
「無限で無限を打ち消す」という理論もありますけど。理論物理学 「繰り込み理論」 高級だねえ。ほんのさわりだけ眺め。日本人ノーベル物理学賞に輝く科学の英雄朝永振一郎 折り紙つきの偉業。物理学徒ではないので仔細詳細は知りません。
モザイク画面のように処理すれば、わからぬものでも、数理上?処理できる みたいなアイデアらしいんだけど、当方、学外の者なので重ねて仔細詳細は知りません。同偉業でノーベル物理学賞を獲ったファインマン先生は「手品」と言っているようですけど。自分の仕事、他に比類なき業績なのに、諧謔なのかな?
「無限には濃度がある」 というカントールの発見、正しい命題を最初に知ったときには学外の者なので爆笑した。(駅前の書店で立読したのです。『数学の歴史』 訂正 『数の歴史』「知の再発見」双書 ドゥニ・ゲージ著 藤原正彦監修 南条郁子訳 創元社1998年 第6章 ゼロと無限) 「濃度」という概念があまりにも奇想天外だったため。無限という記号も 「∞」一種類しか知りませんでしたし、「え?無限大は一種類だけだろう」と、思ってましたので、驚異驚愕の大どんでん返しにビックリしました。意外な探究の成果である。すごい。やばい。
『数の歴史』 数学なのに「濃度」濃さって何やねん!(笑)と、胸中でつっこんでましたよ。初読時の思い出。味が薄い濃い とか、キャラクターが濃い とか、そっちを連想するじゃないですか。日常性。日常に生きる者ですから。
数学の「濃度」は日常生活では「絶対」にと付けてもいいくらい使わない。使う場面が想定できない。ありえますか? 「連続体濃度」「可算濃度」が使用される日常の場面、君の人生にあるのかい? (ごく一部の数学徒だけでしょう)
壮大な話ですがこの宇宙は「有限」であるため、「無限」は宇宙の外の話になる。形而上ではないか。前期ヴィトゲンシュタイン『論考』の「語りえぬことについては沈黙せざるをえない」という哲学・美学からは外れている。
【追記 2018/4/2】 『逆説論理学』 野崎昭弘著 中公新書より引用。(新書は一般レベルでは かたいねえ 学界レベルでは やわらかい 入門書レベル 18/4/23 注記)
頁110 「有限の線分にも無数の点が含まれているし、有限の時間にも無数の瞬間が含まれている、ということになると思う。量子力学やある種の幾何学では違った見方をするかもしれないが、」
ユークリッドの『原論』の規定より、「点とは部分を持たないものである」 「点とは位置だけあって大きさのないものである」
この世界・宇宙にも無限があると解釈解説されている。数学者。古代から「無限」という概念はあったのね。
学外者の感想ですけど、零 を発明すると、自動的に 無限 も発明されると考えていいのかな。
現代物理学 プランク定数など知識としては知っていたので、それ以上は分割不能の物理学の基本単位。無限分割は出来ないのだから、この宇宙は「有限」と解釈しました。
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さて、ヨソの星の知的生命体が有ったとして、現行人類文明と同じような数学の大系を確立するであろうか? これは他の宇宙の文明知的生命と接触あるいは痕跡なりを知らない限り、真とも偽とも言えない。不明である。
数学に関する哲学・思想・信条・信念では、数学は発見か?発明か? これを巡って二大潮流があり、論争があり、決着はついていないようです。見方・数学観だからね。当方は長らく数学とは自然に在るものを発見だろうと「発見説」でしたが、とある数学者プロフェッショナルの方 (後述するコトバンクでガロア理論の解説を書かれている足立恒雄名誉教授) が「発明説」を断言されていたので。そこまで言い切るのならば根拠と実感は有るのであろうと。
この宇宙にはおそらく無いであろう「空間」なりを人為で創ってしまう。ブロック・レゴの如く設定される人工概念。「記号」を組み合わせて知の建造物をバンバン創るのは意外にも「文学」などに近い。ただし!!厳密な論理と数学用語を用いて語られる創作物・物語ですけど。(非常に厳密) 理工系の基礎基盤である数学が人為の所産、究極的に鉄壁を誇る、非常に堅牢ですが、空中楼閣である面を底の底に秘めているのは、おどろき です。
カール・ホパーの有名な主張「反証可能性」は数学界ではほぼ成立しないのね。(かの大天才 クルト・ゲーデルの不完全性定理 では、数学の公理系は自身の正しさを否定も証明もできない 真とも偽とも言えない。なので当方の感想ですが、敷衍して数学の公理系はひっくり返される可能性も僅かに秘めていると解釈してもいいのかな?) 自然科学・理学とは違う営みなんだ という。
【追記 2018/4/22】数学の公理系を狭く制限して設定すると、完全な公理系と言い切れるようです。この場合は完璧。公理系の設定次第 ですか。
【追記 2019/7/5】 知識をアップデート。現代数学・数学基礎論の集合論、ゲーデルの「不完全性定理」は、パッと見の不完全という名に反して、数学の鉄壁さ、完成度の高さを暗に誇る基礎的な定理でした。
これは意外、初見者、素人殺しやないですか! 数学基礎論の先生方が「あくまで数学の定理である」と、曖昧さを含む自然言語では有り得ないと何度も釘をさし。
当方の理解した範囲では、ガチガチに厳密に構成したときのみに立ち現れる定理です。この「パラドックス/逆説」を言い切れるくらい数学は完成度の高い鉄壁の体系であると。
無限をも取り扱う「集合論」を、(素人が漠然と想像する以上の)基礎の基礎から、水も漏らさぬ完璧さで構築したときのみに立ち現れる逆説。曖昧で複数解釈が可能で柔軟でイイカゲンな自然言語ではナシ、登場しません。
ブール代数を基礎とする正確な論理演算の出来る(二値が特長の)デジタルコンピュータでも立ち現れる現象(チューリングマシン停止性問題 ゲーデルの不完全性定理 カントールの対角線論法 共通部分があるそうです。差異もあるそうですが。最初に知った時は驚き、驚愕。高級茶飲み話やねえ。永遠不朽の真理です。人類の英知、この方面で頂点に立った一流の中の一流、非常に有名高名なビッグネーム天才の中の天才3名)。数学基礎論は現代のデジタル社会の基礎基盤を支えていると。
20世紀のはじめ大数学者ヒルベルトの「ヒルベルト計画」は、「公理主義的構築」、たったひとつの完璧な数学の体系を作ってやろうと挑戦されたようですが、ゲーデルの不完全性定理の登場で頓挫、唯一絶対の数学の大伽藍をつくることは不可能になった。
複数の公理系を使い分けることに。「構造主義」の誕生です。無味乾燥な「数学的構造」のみを語ることに。フランスの数学者集団ブルバキ(共同使用のペンネーム、メンバーはヴェイユなど)が教科書を執筆。「ヒルベルトの夢」は予想を裏切るかたちで叶えられたという。
かくして、現代数学は鉄壁の布陣。その公理系の内部で証明されたことはひっくり返らない。究極の空中楼閣と申しますか、数学はその内部では完璧なチート。定理や補題は永遠永久不滅。
人文系方面で「数理」と喩えられるくらい完璧であることの申し子。
現代数学で標準的な公理系は「ZF公理系」。これに「選択公理」を付け加えた「ZFC公理系」。その他にも沢山の公理系があるそうですが、当方は数学徒にあらずよく知りません。インターネット上にもプロの方ほかの解説が色々ありますので、当方の小コラムは一介の匿名の者による感想文ですから、詳しくはお調べ下さい。
以下はマジで素人の疑問呟きなのですが。証明したい内容によって公理系を使い分けるというのは恣意なのでは? 使い分ける規準があるとすればそれは何なのか?その判断に普遍性はあるのか? あと公理系は幾つあるのだろう? 無限にあるのかな? あと現代数学の解説で「自然」という表現が登場するのですが、何がどう自然なのか?学外の者には怪しく感じます。数学徒ならば解るという自然さなのか? 神秘主義じゃない?
出典は 『数学の歴史』 森毅 講談社学術文庫 など参考。 この追記の文は2019年5月のゴールデンウィーク頃に書いたのですが、確認してから投稿のため、一ヶ月以上遅れ。サワリしか知らんからねえ。難しいので有名。誤解が多いネタ。有名著名インテリ論客すら誤って解説!してしまうくらいの鬼門。コワイ。
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数学での定理や命題・補題は、一度証明されてしまうと、人類文明が終わるそのときまで永久不滅である。永遠である。
これはあらためて、凄いねえ。
学問上正しく中二だねえ。頭脳労働。知の伽藍。数学は無限に建設出来る という命題は正しいのかな?
一感想ですけど 数学は「発見」であり「発明」である と見てます。この宇宙の外まで在るとしたら「発見」、この宇宙の内のみに在るでしたら「発明」かなあと。どうでしょう。
数学には演繹しかない。帰納法は無い。「数学的帰納法」と命名されている種類は「これは演繹です」とハッキリ注意書きがされている。演繹の場合は証明されると絶対的に正しい。帰納法とは違い。
演繹であるため、
数学の「定理」「公式」「命題」「補題」は一度証明が確定すると、引っくり返らない。絶対である。絶対的正しさを誇るすごいジャンル。人類文明が亡びるその時まで永遠。
絶対!と言い切っちゃう冷厳さに ビクンビクン!感じちゃう。
追記 文系の論文等での確度の高い論理展開や守りの固い論理構成などを称して 「数理」 と言う。まあ数学に由来する比喩的表現かと。
数学の証明。相対主義者の暴論と冷笑虚無と破壊が横行する人の世に在って、絶対であるというのが凄い。凄味。
数学は一度証明されると覆されない、永遠である。カール・ホパーの科学哲学「反証可能性」が成り立たないジャンルではないか。自然科学分野とは違う。理論物理学では中心的でありながら、「科学」ではない何か。
理学・自然科学は理論なり有力主流の説なり変更される可能性と余地を残している。古典物理学 ニュートン力学が古くなってしまった、より正しい理論大系に訂正された。
シュレディンガー方程式 量子力学の基本的な公式ですけど、この方程式の解釈を巡って物理学者プロフェッショナルでも、いくつも解釈がありうる というのには驚きましたよ。今なお、そしてこれからも、ずっと、白黒つけられない。
計算は出来るけど、方程式が何を意味しているか? プロでも見解と解釈が別れる、派が有るというのは、人文系と同じじゃないですか。(古典物理学の頃の絶対的な決定論の宇宙という普遍性を失ってしまった)
高度に非自明である。科学では真偽が判定出来ない神秘の領域が必ず発生する 恒に人類の知に余白と余地あり ある意味、宗教思想の勝ちですな。ミクロの極限・究極の素粒子とは 宇宙の起源とは 宇宙の終わりとは マクロの極限・宇宙の外とは などは解説不能、真偽不明、解りません。大哲学者カント先生言うところのアンチノミーやないの。
統計力学 という物理学分野、「湯と水を混ぜてぬるま湯をつくる」程度の身近な現象でも、厳密には計算できないという。そんな問題お題がゴロゴロ。分子の数が多くて計算量爆発、扱う桁が大きい、今のスパコンでもたいへんなんだって。「物理帝国主義」の二つ名を誇ってますが、案外非力だなあ とか、ゴメンなさいねえ。偉大な知の伽藍だというのに。
「光速度不変」という大前提から、「光子は質量ゼロ」「質量のある物質は光速近くまで加速すると質量が無限大に至近」「エネルギー」「時空の相対性」などがガンガン説明出来てしまうのは凄いですね。理学少年万歳!
■ まとめ的に ■
数学は一度証明されてしまえば変更修正の可能性はゼロ。
芸術全分野は自由度が高くそのイメージの諸相は奔放であるのに比較して、数学は、論理学なり公理系なりの土台の上に、堅牢なロジックによって構築されている。硬い。守りの堅さは最強。
数学は文学等に近い。人工人為の思弁の所産で「発明」という創造の要素は人文系に近い。ただし数学は厳密ですが。ある特異な言語で書かれた物語である。
上記までの感想にマズイ点があれば、優しくご教示くだされ。
現代数学の入門付近、「ガロア理論」あたりなんですけども、難しい!!です。いちおう高校数学までの知識があればついて行けるそうなんですが、ガロア少年は天才高校生であった、難しい。難解で知られる。
現代数学の嚆矢。その後に大発展。「群論」の諸々は実用にも援用されてます。有用な理論。日常生活ではまず出会わない使わない「群」と「体」という数学概念が理論の根幹。定理と補題が連打される。これがミステリ小説のように伏線回収されて証明、という重厚な構成。軽くないです。
当方、いろんな難しい概念や理工系の成果を読んだり知ったりするのは好きなんですけど、これほど解りにくいと思ったのは「量子力学」以来。究極詰め将棋のような完璧鉄壁の論理展開、理論構築、不朽の偉業、当方レベルの知性知力では、難しいです。
こんなすごい英雄を数々輩出したら、そりゃフランス人は威張っちゃうよねえ、この二百年くらいはイギリス、フランス、ドイツの欧州三強あたりが科学力では人類世界をリードした。欧州の賞というのもありますがノーベル賞受賞者の数が桁違い。自然科学の本家本元はヨーロッパ文明である。西洋自然科学と言う。科学では東洋は辺縁辺境。東洋自然科学というものは生まれなかった。残念ながら。
東洋文明圏は歴史は長いのですから、歴史と文化のブ厚い蓄積有り、豊かさがあるとすれば、歴史文化芸術等、そちらをアピールしましょう。豊富だよ。
いかに難しいか?閲覧者の方々にも知っていただきたく、コトバンク の記述より、以下引用。
「ガロア理論 がろありろん
フランスの数学者ガロアが提起した方法論で、体(たい)の性質を有限群に関連させて調べる理論。n次の方程式は重根を重複して数えればn個の複素数解をもつ。これはガウスによって証明された代数学の基本定理である。二次、三次、四次の方程式は、とくに、係数とn乗根(n=2, 3, 4)を用いて解くことができる。しかるに五次以上の方程式は、たとえばxn−a=0といった特殊なものを除けば、係数とn乗根だけでは解くことができない。これが有名なアーベルの定理である。アーベルが19世紀初頭にこれを得たのに引き続いて、ガロアは、根の間の置換のなす群を研究することによって、べき根によって方程式が解けるかどうかを群の問題に転化する原理を確立した。これがガロアの理論である。一見、アーベルの定理によって代数学は研究すべき対象を失ったかに思えたが、実際には古典代数学の幕引きが行われたのであり、以後、群、体などの代数的構造を研究する新しい代数学が誕生した。
Qでもって有理数体を表す。f(x)を有理係数のn次既約多項式とする。方程式f(x)=0の解のすべてをQに添加した体をKとする。体Kの自己同形の全体Gは群をなし、その位数はnである。このGをKのQ上のガロア群と称する。Gの部分群とKの部分体とが一定の方法で1対1に対応するというのがガロアの基本定理である。こうして、体の問題が群の問題に転化される。とくにf(x)=0の解が係数とべき根を用いて表されるためには、G(0)=G, G(n+1)=[G(n),G(n)](ここに[G(n),G(n)]はGの交換子群である)とするとき、あるnに対してG(n)が単位元のみからなる群となることが必要十分条件である。このような条件を満たす群を可解群という。すなわち、ガロア群が可解群であることがべき根で解ける条件である。[足立恒雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」
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以上、引用了。
このプロ数学者名誉教授による、ガロア理論のあらすじの見事な簡約とおもわれますが、この簡潔な解説が一読一回で理解できる日本人は何パーセントいるんだ? です。
あらすじでも結構長い重量感のある理論。手ごわい。数学徒でも 大学で習ったけどようわからんかった と卒業される方もおられるそうで。当然、理工系のプロでも全員が知っている訳ではない。工学徒は基本は応用でしょうから、現代数学の嚆矢となったガロア理論を知らなくても別にかまいません。
「有理数体」「1対1に対応」「べき根」「可解群」 ピンと来ないねえ (なぜそう言い切れちゃうのか?わからない) ですわ。全て厳密に定義有り。思弁の産物。
(1対1対応 は現代数学・集合論の基本のはず 18/4/2追記)
「群」ですが「代数的構造」を抽出しようなんて、普通に生きていて、まず思いつきませんよ。考えもしない。
長い人類文明でも このような奇怪ともいえるアイデアを思いついてから まだ200年程度 ですからね。
数学は抽象的ですが、群論は抽象度は高いですよね。抽象度の高い理論とされてますよね。現代数学が恐ろしいのは 群論で具体的 とか言う京大教授がいたり。やばい。
【追記 2018/3/21】 (「ABC予想」の証明したとされる 「宇宙際タイヒミューラー理論」 の望月新一京大教授の言です。しかし、なんという中二病ネーミング。調べたところ、「宇宙」は数学用語で一般用語の宇宙とはズレあり、「際」もそんな感じで、「タイヒミューラー」はドイツの数学者 と学術上の経緯を踏まえたちゃんとした名前です。字面のみでイキッているわけではなかった。あたりまえか。
なお、発表から5年以上経過したものの、いまだに検証が終わっていない。よっぽど難しいか?ぶっ飛んでいるのか?もしかしたらトンデモなのか?? 理論の方、世界の数学者のごく一部にしか理解してもらえない状況のようです。現代数学の新理論など数学者・専門家集団のみしか真偽判定できない。学外・外野の者には専門家集団の判定待ちです。)
■ 追記 参考一般向けサイト ■
無限を最短で紹介するよ | ギズモード・ジャパン https://www.gizmodo.jp/2011/07/post_8960.html
読み物としては、このあたりがおもしろいんじゃない?
「集合論は一見、笑っちゃうぐらい簡単です。ところがこれが後に現代数学で最も強力なツールとして威力を発揮」 「アレフゼロとアレフゼロ 1ではどちらが大きいでしょう? 」 「Infinity Times Infinity - 無限×無限」 「Cantor's Diagonals - カントールの対角線論法」 「To Aleph-Null And Beyond - アレフゼロとその彼方」 「絶対無限とは」
小見出しが、かっこいいネ。非日常。宗教的、哲学的。
連続体仮説 - ニコ百 http://dic.nicovideo.jp/id/4638726
「数学における連続体仮説とは 「可算濃度より大きい最小の濃度は連続体濃度じゃねえの?仮説」 の事である」
おあとがよろしいようで。
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