あとがき 小説マンガの論評感想 小松左京・シェイプアップ乱・奇面組など



こっちの あとがき より、分離しました 一読者の感想批評



● 小松左京先生に男女のセックスで「宇宙を出産」という神話的イメージの作品がある。『ゴルディアスの結び目』 当方は未読。『旧約聖書』創世記と『古事記』国産みとを併せた感じかな? さすが御大。スケールの大きさ、思弁と理屈、ロジカルにパワフルなイメージ炸裂のデカいホラ話を創らせたら国内でも無双の感。

ご参考 他にもネットの方々に紹介あり
小松左京 「ゴルディアスの結び目」
https://soe006.com/novel.php?no=050518

「4つの掌編によって構成された連作短編集」 「娘は快楽の絶頂に「宇宙」を出産」
尖ってるなあ。エッジだ。

日本SF界最大の作家ですね。日本でいちばんハードSFを売った男、『日本沈没』はハードSF。こんな難しい小説が何百刷!とよく売れたな。面白い時代ではあった。(公害ほか社会問題も凄まじかったが、まあ経済大国としては元気であった、戦後日本の若年期か壮年期)
「ブルドーザー」 ファンには「親分」と呼ばれていたらしい。ペンネームは 「左がかった京大生」 とも聞きますが。
ヤッタラン副長のモデルはオレか?と松本零士に問い詰めたらしいw 零士こたえていわく、モデルは新谷かおる とのこと。敬称略 (ヤッタラン副長 デブのオタクキャラ プラモデル好きの遊び人 ただし有能)

理詰めで虚構の山を築いたあと、人間と自身のセンチメンタルを提示 という作風であったらしい。
理系的で文系的。「学際」は自覚で自慢。理系文系横断の博覧強記が強み。関西が生んだ知の巨人のひとり。 ハッキリと文学志向、京大ではイタリア文学専攻。ご自身のSF人生を振り返り、文壇からの評価がよろしくなかったというのが御大の抗議であるようで。『日本沈没』はテーマがでかい。気宇壮大。
国内でのデザスター物・災害小説の最高峰。ちなみに、日本は地学的には沈没しません。山塊って比較して軽いんです。地球の構成物の中で軽い素材が表面に浮いているのが地殻で大陸。だから大陸も島弧も浮きっぱなしでなかなか沈まない。
『日本沈没』の沈没に関しては、意図して大嘘をついているので、読者を乗せる騙そうとするテクニックに、感心する。
ただし、地震の描写は冷徹なシミュレーションで凄まじい。現実に起きうることです。予言者のようです。理性主義の力。知性である。

面白すぎる人生を自分で選び創った人。成功者。文句あるまい。

と思ったのですが、映画・小説『さよならジュピター』に関する情報をネット検索してしまい、日本人一般と比較して大秀才なのにナンデ? SF作家として大天才なのにナゼ? 小松御大の後半生、人生を賭けた遊びと仕事の結果が酷評。映画版は第一人者一流のプロが放ってしまった低評価のダメ作品失敗作。(小説版はちゃんとエンタメ良作とのこと 星雲賞受賞 上下巻 徳間版は加藤直之氏によるカッコイイ表紙 公式サイトに掲載)
小説を書く能力と映画を撮る能力とは別物 という一例になってしまった。
映画は時間芸術 0.1秒単位で編集 映像には映像文法がある 山の頂点一つのセリフに向かってシナリオ内の台詞・場面は配置(例 カリ城「あなたの心です」) 二つ以上誰も見たことがない絵を用意する おおむね2時間に収めるための時間配分セオリー ハリウッド脚本術 等々、特殊な技能を要求される芸術表現。

突出した大の勉強好きなのだから、映画制作・映画監督・映画史にまつわる数々のエピソード悲喜劇を調べてから映画制作に参戦すれば良かったのに という後世の者の後知恵的論評感想。 総監督とプロデューサー(一部は出資者 御大自ら私財を投入)を兼ねると失敗しやすい 学生映画だろう おい 
御大ご本人は (初見者には酷な、おいてけぼりな)ダイジェストにしても平気。以下想像ですが カメラをまわして撮るだけでも楽しいのでは?自作を自分で映像にするのが愉しかったのかなあ? 想像するに。本気になった素人は怖い との評も見ました。自分のことは客観的には見れないのね。天才といえども。美術セット作って美男美女の俳優さんを用意して、照明録音メイク演出等スタッフ大人数で カメラ撮影ってテンションあがるよね、麻薬的。
しかし以後、本邦のハードSF映画制作を超困難にしてしまった、トドメを刺したという、悲喜劇。日本のSF王。

さよならジュピター | 小松左京ライブラリ
http://sakyokomatsu.jp/library/1451/


● そういえば、「漫画の神様」(日本と世界の漫画王 人生後半で倒産一回、借金ほかで苦労したのでご商売でイメージアップ戦略のためにご自身でもそう自称)手塚治虫も「漫画は本妻 アニメは愛人」などと挑発的すぎるヤバすぎる言を公言し、宮崎駿ほかが激怒するのようなアニメ制作ドッタンバッタン大騒ぎを、プロ商業作家としてではなくアマチュア的な趣味で創る、悪癖があった。
まあ『ジャンピング』と『おんぼろフィルム』というアートアニメは面白かったと思うよ。思い出した。前者は社会派、後者はアニメでアニメーション史メタ批評かな。(エラソに書いちゃったけど 検索 おっ このアートアニメ二作品は高評価のもよう)

たけくまメモ 2004年12月19日 手塚伝説(その4)アニメ篇その他
http://memo.takekuma.jp/?p=308
 より、一部引用。

「虫プロ倒産後も、手塚はマンガで得た収入を惜しげもなくアニメに注ぎ込んだ。理由を聞かれると、「マンガは本妻、アニメは愛人。愛人にはいくら金がかかってもしかたがない」と答えた」
「NTVの24時間テレビで2時間アニメ「バンダーブック」を作ったとき、作品は好評だったが手塚は放映終了後も気に入らないシーンを直していた」
「テレビで放映している最中に手塚はまだ絵コンテを切っていたという嘘のような本当の話がある」

放映中に絵コンテってマジで?! 普通のテレビアニメ制作では有り得ない、まあ非常識。常人離れした超ド級の人生、歴史に残る天才クリエーター、唯一無二の破格の個性、戦後昭和日本文化の巨人大スター、後世と国内外に影響多大、まさに「神」
アニメ『バンダーブック』は坂口尚氏がメインスタッフで作画なのね。漫画家です。大友克洋級に絵の巧い人です。故人。



そう、無重力セックスで 『さよならジュピター』 を思い出したのであった。
うーん、スチール写真で見る限り、そんなに絵は悪くないように。大不評であったそうですが。序盤、数分ほどもあるというシーン。
撮影期間六ヶ月 制作の実予算六億円 と知ると、まあ頑張ったんじゃないの。当方には出来ません。
『2001年』『スターウォーズ』の先例を知らなければ、話はともかく 映像は 感動する可能性。
ネットで検索していると、「感動した」というブログ筆者氏も見かけた。知らなければ、比較しなければね。
『さよジュピ』が 人生で最初の 本格SF映画との初めての出会い という人もいるんだよ 観客の中には。
SFファン作家とSFファンっていかにも酷評しそうなクラスタだなあ という ハードル高そう という 当方の偏見。
星新一はあの名作映画『2001年』を公開当時褒めなかったという。まあストーリー性だけ見れば意味不明、退屈ですからね、眠くなる。

傑作SF映画『2001年』はもっと予算規模も大きく、撮影期間は2年です。カメラ撮影に精通した天才キューブリックの指揮ジャッジという。同レベルのフィルムを撮るのはムリですわ。
特殊撮影のレジェンド、真似できないという。スリットスキャンすげえ!!特殊な光学撮影アニメーションの一種。
『2001年』は他にも ミニチュアでかい 長時間露光 という時間のかかる撮影方法根性ありすぎ 21世紀なっても空前絶後、途轍もない映像クオリティ、スゴすぎ、金字塔。
(ミニチュア宇宙船の写真を貼って紙芝居的に あるいはアニメの引きのように それぞれを動かして撮っている比較的低負担のシーンも複数あるよ(宇宙船が地球を横切るシーンなど) 全部が根性の特撮とは限らず)

『スターウォーズ』は米国製モーションコントロールカメラを完璧に駆使と。精緻に同じ動きで何度も撮影可、ダイナミックに動く合成素材を撮れちゃう優れモノ。メカが違う。
『さよジュピ』で使用の日本製モーションコントロールカメラは産業ロボットの流用でしたか、精度が違ったそうです。残念。映画撮影用の機材ではなかった。

この頃、日本の工業製品輸出のメッチャ強い黄金時代ですけど、こと映画産業では、対米戦争での旧日本軍の負け方を彷彿とさせるようなエピソードに、技術力で大差をつけられ。先の戦争で殺されかけた小松左京御大が、そのような失敗を意図せず犯してしまったというのは、高度に皮肉な感も。なんだろうか? 考えさせられる。小松御大は猛烈に仕事の出来る優秀な人でバカじゃない、日本社会から選抜された傑物、第一級の出来る人でも失敗するという。
英雄・秀才・天才でも陥る穴はあるのだ という。




● (唐突に) 『シェイプアップ乱』単行本一巻を持っていたのを思い出した。「ボディービル狂いの怪力娘が」(副主人公・宗一郎セリフ) 「トレーニングによってきたえられたセクシーなボディーラインにどんな男もいちころってわけよ」(主人公・乱子セリフ) エロいんですわ。あら。エロス&バイオレンスに破壊的ギャグが主体の怪作で面白い。単行本冒頭の登場人物紹介「寿乱子 本編の主人公。ボディービルできたえたパワフル・セクシー・ギャル」「怪力・妖艶・少女」 オオッ!当方、小学校の頃に幾つか読む。影響を受けているのかも。

(当方が出会った時には作者も作中人物も年上の大人であった 年月経過 作中人物たちは年下に 執筆時の作者氏もデビュー作とあって当時若い24歳 今では当方が年上に 色々な意味でアダルトな作品であった)

近年単行本を概ね入手し再読初読。ヒロインほか中後期になると頭身が変化しカワイイ感じに。八頭身から三頭身ほどに?縮んでズン胴に。マンガです。
中後期でも入浴シーンになると八頭身に戻る。おーw この作者の心境の変化と担当編集のジャッジがよくわからない、なんだろう? 漫画アニメは意志ひとつで、(出来はともかく)どうとでも描ける、本質的には自由度の高すぎるジャンルなので。
(三頭身くらいがギャグ漫画のコマ割には収まりやすいのかな?? うーん、でも頭身の高いギャグ漫画もあるよね)
(収録の作者コメントから伺うに、お色気サービスカットはどうもやりたくなかった様子。ストーリーテラー人情話が上手いので、そちらで勝負したかったのかな。青年の才気)

1-3巻あたりが異常にエロい。ボディービルに淫している女子高生美少女は他の漫画に見ないように。ここまでマニアな筋トレ姿を披露するのはこの漫画だけでは?
実際のボディビルには減量があるのでまた違います。筋肥大の後に皮下脂肪を徹底的に落とす、なんという苦行。
2巻めの冒頭付近、小さなコマ、乱子が指ひとつでビールの栓を開けたり、適度な超人具合のように。

ギャグ漫画ですが主要キャラ四名は全員美男美女という設定 ただし顔の描写が別人のように激しく崩れる。ギャグキャラに激しく変化する特徴。

少年ジャンプは超人キャラクターが多数いる漫画誌であったので、乱子の怪力描写程度でも目立たないとも。アラレちゃんとかキン肉マンとかもっと派手でスゴイのがいた当時。

当方が最初に読んだ話は、マッチ茨木(ヒゲ顔の担当者)の長野県旅行記であったように。(旧コミックス7巻収録) ボディビルと怪力娘の話であるとは気づかなかったように記憶。風変わりなギャグ漫画であった。

別の展開が無数に有り得た。作者と編集の意志決断ひとつで、どんな展開でも可能性。とくにギャグ漫画の場合は、なんでもあり。
ホラーとしても描けただろう。視点を変えると、乱子に度々ぶっ飛ばれる不良グループから見れば、正体不明の恐怖の怪力妖女襲来ですよ。
格闘漫画化も可能。ヒロイン乱子が次々に現れる刺客を返り討ちにとか。なぞの高校生闇バトルに参戦とか。東京に地下闘技場?とか。異世界バトルフィールドに飛ぶとか、非日常バトルはジャンプの得意とするところ。
徳弘先生の後のヒット作『ジャングルの王者ターちゃん』ではギャグ漫画から格闘漫画へ移行。どいつが強いか?強い奴はどっちだ?どっちが勝つか?というのはウケるですなー 紙上のプロレス といった感。
あと、作者プロ漫画家の引き伸ばしもやり易いジャンルなのかな? どうでしょう。
己の実存を疑う電波な病み展開も可能では。(嫌すぎますが 90年代エヴァンゲリオン以降のオタク作品では流行りに流行った 日本社会と日本人の閉塞感・憂鬱を表現か 病的に)
水着回はあった。クリスマス回もあった。旅行回は複数回ある。バレンタイン回は異色。

80年代は 「ビョーキ」 で、90年代 が 「病気」 という感じがある。振り返って。戦後日本のサブカルチャー史。

80年代のプロ・クリエーター、一見、陽気に振舞う作者たちの内心内面は、病んでいたという。
受け手の方も。

スネ毛や無精ヒゲや建物汚れなど、「汚さ」をわざわざ書き込む。徳弘先生には独特の自分の思想および哲学があると思われ。
汚いネタに汚い画面というマンガで知られる。反スタイリッシュ。美しさ清潔さを競う漫画のメインストリームに対してアンチの作家クリエーターだ。生きるということは汚れ という命題でしょうか。
生命とは汚濁 という厳然たる事実。(人工知能は清潔 どんな美女でも聖人でも生身であるかぎりは生きているかぎりは汚濁からは逃れられない という 小学生だって知っている まあ大人は見ないようになるんだけどさ)

乱ちゃん、記号なのに、汚濁もあることを明示した上で若さとエロスを描写するためか、生々しいキャラクターですな。臭ってきそうなエロさ。

非日常が混在するシュールな女子高生漫画として最終回であった。18歳の誕生日を迎えるという話が実質的最終回。
楽園物マンガの一種。バリエーション。『うる星やつら』 ドタバタばかり遊んでばかりで進歩しないのが特長かな。サザエさん時空 でしたか 永遠の日常を繰り返す。
『シェイプアップ乱』は作中の時間が進行するパターンを選んだ。学園物だと作者がどっちの時空を選ぶかで多少悩むようですな。成長し大人になると暗示はされている。どうなったかは語ってはいないはず。作者の理想の世界だったのか。

『ハイスクール!奇面組』も年月季節が進行するそうです。へぇー 作家・お兄さんが下の世代を楽しませるマンガの感。世代と時代のマンガ娯楽作品と思います。少年誌。

時事ネタ等は複数。他国の人や別の世代が読んでも面白いと感じるだろうか?背景情報を共有していない人には何のことやら?となる。週刊マンガ連載ゆえのサービス。ネタの鮮度。

『シェイプアップ乱』も時事ネタを収録、時代の記録にはなっている。後の時代の人が読むとわからない。奇想ギャグの部分は今でも通用。こちらは古びず。

ご参考 旧コミックス版1から14巻 表紙 内容と一部カットの紹介 サイト主氏自身の大学時代下宿体験と絡めて感想 好きになるというのは個人的なものなのね フックにひっかかる 通俗作品の魅力
http://sho.la.coocan.jp/ran-index.htm
VOL.1 「その新人漫画家の革新性とセンスの傑出ぶりが伺えた。」
VOL.14 「ギャグ漫画のラストとはかくも残酷なものである。」「ストーリー作品と異なり、続けようと思えばいくらでもいつまでも再生産できる。」「見事に“ストーリー”を完結させたのだ。」


● 『ハイスクール!奇面組』もネット調べしてしまった。下ネタ・パンチラは封印した作風だったのか! 『シェイプアップ乱』とは、この点は志向が真逆だ。作家性。
わかりやすい笑い。もともと漫画家志望ではなく、美術専攻、絵の人なのか。
アシスタント経験なしで、ほぼデビュー作『3年奇面組』以降のシリーズが大ヒット作で代表作という。初期は作業机ではなくコタツで書いていたという。および長期連載の過労で、(高校時代に友人との相撲が原因で負傷した)持病の腰痛を悪化させてしまったという。プロ漫画家としては半ば引退のご様子。アパート経営の収入があるらしい?
新潟県柏崎の出身。作者には妹がいて、家にあった少女漫画の影響を受けているらしい。
架空の登場人物たちへの愛に考えてしまう。すっごく軽い雰囲気のギャグ漫画作品なのに、レギュラー陣の家族設定が重かったりする。なんだろう?

テレビアニメ版は視聴率20%台で高視聴率であったそう。土曜夜7時台、裏番組で君臨していたクイズダービーを撤退に追い込んだそう。(フジがTBSとの視聴率争いで野望を達成 勝利したそうで 民放全国ネット ふーん テレビの時代だね)
ただ、アニメ版は申しわけないですけど、テンポはよくなかったように。何事も作るのは難しいんですけど。のちのギャグアニメの演出家たちの方が早くてノリがよい。感情を乗せる技術。視聴者の心を転がす。

絵は見易い絵ではある。美麗ではないんですけど(ナマ言ってスミマセン)
頭身が変わるのが特長でとってもポップでコミカルなんですけど なんだろうな 幼児返り?? と批評感想するのは安易かしら。
とても少年少女的な、小中学生的センスにあふれる。アダルトな要素は抑制されている。かなり健全。少年漫画誌だからね。
主要キャラが精神を病んだり、鬱展開になったり、黒富野的な全員死亡などはナシ。安心信頼の設計だ。
基本、人は死なない。楽園マンガだ。
学園漫画の王道、教科書的展開。イベントをこなす。登場人物人数がとても多い。学園の群像劇、架空虚構の世界でもリアルだと感情移入させる、あるあるなのかな? 人物は誇張された典型を描く。
あと、ギャグ漫画なのに必殺技がある。主人公は妖怪のような身体能力。ちょっとしたスーパーヒーローである。
『シェイプアップ乱』はアダルト大人であった。
両作とも、一過性の楽園。卒業するもの。時間が経過。両作者の意思。

連載の早い時期に、パラレルワールドが登場、別の平行世界に迷いこむ。
また、作中時間と連載時間とを一致させていたため、作者がタイムマシンに乗って1984年を繰り返す という連載延長のためのメタな設定が登場する。作者の述懐、同じ年を繰り返すのは「辛かった」らしい。ほぉー
90年代以降には普通になった ループ とか 分岐 とか この時代の作品にも萌芽が見られますね。へぇー


『ハイスクール!奇面組』は最終回の夢オチ?でもたいへん有名な作品、発表当時、物議を醸した。作者の明言では ループオチ とのこと。長期連載の愛読者に冷水をぶっかける展開ではある。
複数の解釈を許容する表現にしたのに、夢オチという解釈ばかりされてしまった との作者回想。
(愛蔵版ではラストカットに主人公一堂零の影を追加する措置 でも判りにくいですね。もっと大きく濃い影を描いて存在を明示かと思ってました)

教訓 作品世界の創造者である作者は、夢オチと言ってはいけない あると言わなくてはならない。

夢 妄想 空想 無いよ と作者がハッキリ言ってしまうと受け手読者は寂しい。はい、そういう感情を惹起する。おもしろいね。創作物はフィクション・架空であるとわかりきっているのにね。この一点に関してはほんとうのことを言ってはいけないのです。
作中世界内でも(これで悲鳴があがった訳か)「あれはみんなわたしの空想だったの?」などと主要登場人物ヒロインがのたまってしまうとダメ押しな訳ですねwww 全26巻を費やしてここに帰結するのは、すげえな。作者やるな(感心 一流の漫画家クリエーターが伝説の最終回を選択 この最終回には子どもの頃には戸惑ったが大人になって受け容れたという一部読者ブログなども読みましたよ 楽しい時間も卒業するものであると)

楽しいエンタメ娯楽作品の場合は特に、その世界が有ると断言しよう。でもねー、いやあ、なかなか奥が深い。
なーんだか 宗教的 とも。信仰心 情熱の核心 とも。創作物・創造物の秘密 とも。
まあ有るとも無いとも明言を避けるのがクレバーですね。
皆様、二次創作作者などの創り手語り手になられましたら、その世界はあると言いましょう。 最大の読者サービスだよ。

あー 他人の語りは ウソかホントか 初めて見聞するときには わからない その特長があるためかな。作り話でも たいへんなリアリティを感じてしまう わけです。
自分の語りは、内容の真偽をある程度知っているので、ほんとうみたい!という驚きは少ない。当方の場合は、自分を騙すのはむずかしい。

架空と事前に判っているフィクション作品でも、部分部分はほんとうなのかな?とドキドキさせちゃうわけですね。あはは。
この説得力のことを リアリティ といいます。本当らしさ という。


リアリティは リアルそのままではない とされる。誇張デフォルメするのがメインカルチャーからサブカルチャーまで芸術表現分野創作者たちの経験則、ルネサンスのミケランジェロから無名の日本の漫画家まで、どうどのくらい変化させるか? このセンスを競ってます。

リアル本当真の情報を作品作中にそのまま投入し描写しても感動しない場合が多いんですわ 面白い現象ではある。地味ってことに。報告書・研究論文レポートではないのだから、面白く派手に描かなきゃ、創作物である。エンタメ。娯楽作品では面白いウソは許される。
演出だよ演出。プロ演出家はこの技量技術でメシを食う専業ですよ。各エンタメ界で活躍と。ちなみにTV・映画 舞台・演劇 アニメなど、同じ「演出」という肩書きでも、それぞれノウハウが違うそうです。




● 少年漫画誌はテレビに次ぐメディアであった。今はネット・スマートフォンに移行しただろう。
日本全国から漫画家の才能・努力・天運を持つ猛者たちが競争するアリーナ闘技場なんですわ。少年漫画誌に長期連載され生き残るのは大衆通俗の万人ウケする娯楽を提供できているという証ではある。商業的勝利と社会的名声。読者投票というシステム・ノウハウを運営。
ただし、『週刊少年ジャンプ』を筆頭とする、自由資本主義の凄味全開のこのサバイバル勝ち抜きバトルシステム、まあ疲弊するよね。とうに作り手側にも知られてしまっているという。成功報酬もまあ高いが束縛と不自由も相当という。トンデモねーな と感心する次第です。特殊能力。有能。才能の市。

戦後日本に花開いたジャパニーズドリームのひとつである。めっちゃ狭い道。プロ野球選手になるのと同じくらい、東大に入るのよりも難しいかも?です。売れっ子プロ漫画家というのは。スゲー、Z戦士だよ


● 娯楽を担う作家は 自分で面白くないと言ってはいけない と思うのです。
背理法で行きます。100%全員にウケる作品なんて有り得ないのだから、(極端な例をあげると 外国語言語の壁・視聴覚に障碍 日本語漫画が面白いとは思わないだろう) 最低でも本人当人は面白いと思うものを、そう感じるものを描くべき ただし、これが万人ウケするどうか?は真に未知数。事前には判らない。創作発表後、事後に判明する。

(なかには例外もあり、『こち亀』秋本氏はどうもご自身では真に面白いとは思わない内容でもプロの仕事として、テクニックで喜劇を構築されていたようですね。他のプロよりアシスタントも多くて二班あったとか。原稿を落とさない体制を構築、いやあプロの仕事だ。長期連載ギネス記録のため編集部内でも特別扱いであった?とか噂を目に。工房インダストリー。まさにスタジオだ。たまに実験的な回があったそうで、こちらがプロのギャグ漫画家創作者としてやりたい話であるらしい。以上ソース竹熊先生 ドミューン動画配信での談話)

大学出の編集者・担当が育ての親として付くのですが、読者代表のわけですな。別の脳と人生体験を有する者が怜悧にジャッジするという、コンビだ。
娯楽一流の大作家プロでもご本人の描きたいやりたい方向に作品を創らせると、微妙な作品に。本邦の大漫画家 桂正和御大と鳥山明御大ね。大友克洋御大もアニメーション映画の技術技巧内容は凄いけど話・題材の一般ウケはどうかしら? 古くは自分で漫画誌を立ち上げた手塚治虫御大も。学生映画的に独りよがりになってしまう通例、しゃーなし とも。編集者って必要なんだなー と逆説的に編集者の機能が確認できる。ほろ苦い感じ。

天才作家たちのヤル気情熱野望野心と、曖昧模糊とした読者多数の期待とを繋ぐ怜悧な商売人か、一流マンガ編集者とは。

芸術家の狂気と 営利事業の計算 の両面を見るビジネスマン。会社人間企業人としてもかなり特異な技能を出版社内で伝承と。

日本映画界の「天皇」で天才監督すけど黒澤明も晩年は大衆受けからは離れていったように見ています。全盛期は複数人で脚本シナリオをつくる。一人のアイデアじゃないですね。結果論的にはプロデューサーも有能であったということでしょう。

作家一人で編集者およびセルフプロデュースまで兼ねてできちゃう人になると、かなり限られると思うけど、まあいますな。日本芸能史にもいますな。自己を売るのに長けた人もいるという まあリアルワールド、奥が深い。



17/10/8 頃に書き上げ、公開を検討している内に、使用パソコンのトラブルのため公開約二ヶ月延び 17/11/27 UP

ひんみり

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女宇宙海賊 淫攻篇

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