萎え要素の記録 萌えないごみ 2018年2月頃の当方の随想徒然


超・姉弟 あとがき からエッセイの方にテキスト・文章を分離・移設します

無料で公開の、タダの趣味のサイトですけど、それなりにエンタメ志向なので、演劇・映画・マンガの没入感とおなじく、非日常感が重要なファンタジー幻想の甘美なひとときであるのに、あとがき とはいえリアル萎え萎えの諸相が述べられているのは、読者・閲覧者の興を大幅に激減撃滅するでしょうから、隔離しておきます。

萎えてもよい という方は、以下どうぞ。自己責任でご閲覧(笑) 業務でも教育課程中でも無いかぎり、テキストを強制されて読む義務はないよ。(当サイトと当方にそんな強制力いっさいナシ)
 ・
 ・
 ・

以下 リアルワールドの脱線的雑談を また 萎え萎え要素をつれづれ書いてしまった・・・ 脳内に去来したもので・・・

しかし塩辛いリアルワールドの鬱鬱なんて 甘い妄想せかいの最大の敵であり 塩塩ですよネー まあこの種のテキストは分離隔離した方がよいかな と思いつつ、まあしばらくコチラに置いておきます。


イシューを沢山並べてゆくと、読み手の人の是非は、だいたい半々に二分されてゆくので、書き手とすべてのイシューと一致する人はマレなんですよ。複数人でレストランに行き、好きな食べ物だって合わないでしょう。人はなかなか合致しない。まあ個性・多様性。

政治経済数理の 「アローの不可能性定理」 や 「コンドルセのパラドックス」 などで、その方面では有名。(選択肢三つ以上では)完全な投票方法は無いという、ゆえに完全に民意を反映する民主主義も無いという。大人の教養常識としてそこそこ知られています。ただ、マイナーな知識かな。当方は長年知らなかった。

大衆通俗の作品でもそうなんです。物語展開 演出 属性 キャラクター 等々、合わない人が出るから、商業映画大ヒット作品の感想ですら全員が愉しく満足するとは全く限らない。エンタメ・ソフトの一大特長でしょう。
個々人の人生経験の反映である。合う合わないがある。ウマが合うか?ソリが合うか?とか。

ご商売・商業作品ならば読者層は広いレンジを目指すのが基本。当方のポルノ作品は狭いですね。で、あとがき の雑談漫談エッセイで更に狭めてどうするんだ?という。戦略としては愚昧であるw この点は自覚してます。

社会問題など固い話題では 両論併記的に曖昧に書く のが広く読者を逃がさないためのテクニックと近月に知ったのですが、大手新聞社説等の特長だそうですわ。おそらく長年の。言われてみれば。ソースも書いておくか、岩波新書『論文の書き方』清水幾太郎 1959年!!初刊のロングセラーに指摘あり。へぇー 商業主義だって。

追記 一感想ですが、メディアの商業主義自体はべつに否定はしない。非常に特殊な民間企業で規制業種で「第四の権力」ですが。首都東京の大手メディア政治部記者は黒塗りのハイヤーで取材に行くという。すげー(失笑) 本邦の特権階級のひとつである。旧ソ連のようだ。某読売新聞は世界一の部数を公称ですが、まあプラウダである、「真実」しか載っていない(念のため反語) これらがまあ愚昧。政官財報労学暴と平成日本の指導者層の能力はまあ総崩れの感ですな、、、読売元トップの故・正力松太郎は米国CIAの工作員スパイであった。これは公開情報だよ。「ポダム」というコードネームであった。ほかに「ポカポン」、「ポハイク」は日本テレビとかにいたよ。
米国にとって都合のよい情報を洗脳煽動するために魔改造されたCIA新聞、CIAテレビ局である。成立時点の性格からして、真に日本の国益なんて考えてないよ。「米国の国益」が最優先だ。日本テレビ放送網が生まれた理由と経緯からして、占領統治いまだ終わらずだ。『アメリカ横断ウルトラクイズ』くらいならメリケン好きの宣伝になるかもねえ?
これが最大手新聞と大テレビ局全国放送なのだから、なかなか喜劇的で悪夢的だ。現実世界というものは。

古臭い地上波と電波利権エゴ儲け追求でイノベーション阻みまくったり、馬鹿じゃないか ですわ。。。


小ながら、当方の考える常識を世に「この世界の片隅に」記しておきたく。
なにせ、リアルでもネットでも、俗流俗論の勝手な暴論奇論が百鬼夜行。「右傾化」という名の非論理横行。シロウトの横道だらけ。学術真理を攻撃破壊、専門知の喪失、壊国状態が常態化して久しい感。これはひどい。

学界学術と専門家を憎むというのは、理工系はもちろん、とくに人文系を廃しようなんて、愚昧もいいところ。知識人と専門家を憎むという 「右からの文化大革命」 だ・・・扇動している連中もインテリ知識人だけどねえ。。。まあトンデモと嘘デマと強弁詭弁の量産される国になりましたな。
(過去にも有った。先の戦争、戦時中軍部の 「大本営発表」 という語が慣用表現が残ってますよね。政府が嘘をつく意味である)
古臭い反共思想とか反組合とかアレを叩けコレを叩けと日本国内で潰し回っているうちに、某中共中国と経済大国としての地位が逆転ですよ。。
(まあ不思議なことは起きてない。平成日本は大局的には政治経済で内ゲバに明け暮れていたようなもの。しかもそれらはまだ悪化する一方。いつまで自壊をやるんだろうか?)

「男性」「都市部(おもに東京圏)」「中高年」あたりの、マジョリティ多数派におもねる感情論だから、ウケがいいんだよねえ、劣情を煽る、劣情につけこむ、カルトの言説なんだけどねえ・・・ 極右宗教右派であったり、いわゆるネオリベ新自由主義と言いつつその正体実体は政商であったり腐敗頽廃してますよ、、、


あー 自衛隊はアイドルでもポルノでも無い という言をネットで見かけました。そういうことですわ。

自衛隊員に不眠不休でスーパーマンのような超人的な活躍を期待する狂った言説があるんですわ。精神主義のアイドル美しい隊員?無敵最強を夢想! いや、、、生身のふつうの人間だって。あたりまえ。

当方、ポルノに相当の文と絵を出来心で公開してますが、個人的かつ個人向の趣味ですよね。
現実社会で、リアルで、集団で、ポルノに淫するなや です。おもに中高年男性(一部に女性もいる)

愛国ポルノなんですわ、ファナティック・妄想・狂気を生身の人間に強要する異常、冗談じゃないよ。。。現実主義リアリズムに欠く。

狂気が社会の上部を覆っている占めているという状況は、たまりませんわ、愚行に付き合わされなければならないのかと、えらいことになったなと。

妄想と現実では現実が勝つからね。現実世界では。あたりまえ。この命題は真である。


さて 当方の現在の持論を記します すでに幾つか記してますが



ネット論壇では、男性オタクが多いので、「フェミガー」という論調が流行るのですが、偽命題ですよ。
男性社会やで。会長・社長・役員・役付きは男だらけ。国会議員も男性だらけの国やで。
議員の場合は有権者の代表なんやから、単純計算するなら男女比半々になってなければおかしいんですわ。民主主義の先進国ならば、それなりに、、、
ところが、現実実際にはそうではない。出世するのは男性ばっかという、男性社会・男社会の国ですわ。

この理由ですが、アジアの儒教国の伝統、男尊女卑 に由来すると考えます。
三千年くらいの伝統があるはず、古い。
日本でも古来より女性は大事されてきたのである という説も、世間巷間に各種さまざまなレベルで流布されてますけど、天照大神と卑弥呼は、奉る神であったり、巫女である。崇める対象であって、権力ではない。

日本史では、武家政権の時代が長いのですが、女大名 女の殿様は何人いるんだよ ですわ。どうにも男社会である。
女性天皇はリリーフであり、血統上は「男系」というのが特徴ですよね。余談ですが「女系」「男系」でまあ右翼極右皇国カルト方面で揉めてますね。どう見ても国力国勢が傾いているのによくやるよ ですわ。ウチのクニの自称保守は象徴天皇制すら保守できていないのに何が保守だですわ・・・

朱鷺の絶滅 鰻は絶滅寸前 日本民族国民は少子化確定 インフラ荒廃ほぼ確定 地方末端の切捨て確定 と、資源管理リソース配分がド下手!! 次世代や貴重な資源を焼畑農業する、稀少な財を滅ぼすのが得意な国ですねえ。ちっとも合理的じゃないやん。自称保守・愛国シバキアゲと精神主義。
目下、ガタついてきているのを皆さん目撃してますよね、どう転んでも傾国基調は間違いなしというのは衆目も一致するところでしょう。まあバブルや高度成長は起きない。人口動態的にも厳しい。よっぽどのケインズ政策を超過大に実行でもしないかぎり、内需の喚起は起きません。ケチケチせずに福祉政策やインフラ更新にドカンと予算を付ければいいのに緊縮路線である。おもに株式市場にのみ日銀ほかの巨額の公的資金マネーを投入という。金融政策で2%のインフレすら達成できなかったのは経済学の教科書を書き換えるようですね。

まあ、この不合理の由来・理由も自分なりの仮説はあるのですが。一意見としては、仏教・禅あたりの悪影響と見ています。直観による悟り であったり、「不立文字」 と言い、言葉にたよらない 論理性を重視しない 宗教思想ですからね。禅は武士・士族階級に好まれたという。武士の教養のひとつ。武家の教育機関であったらしい。
禅は文化芸術方面では斬新な作品が創れる可能性がありますが、実学実用工学科学軍事方面に禅思想を投入の場合は大変な危険思想である。

話を戻して。
なので、女性いわゆるフェミニストと呼ばれる人らにロクな権力権限があるわけないじゃん。男社会権力に、たまーに利用されるくらい。政治勢力としてはとても弱い、ぜんぜん権力ないやろ ですわ。

「男性オタク」と「女性(いわゆるフェミ)」とで、分断統治されていて アホだなあ と、このところ、いつもそう思っている。人によっては 「弱者男性」 「弱者女性」 に相当なのに。

一般の理系大学教員と文系大学教員の一部で研究予算のあっちを削れこっちを削れと政治向きの内ゲバやっていたり。(私大を削れ?いや国公立大を削れ?とやっているらしい?) 文科省・財務省にいいようにされとるやないかとか(この論戦の参加者は全員インテリですよね)

傾国ジャパンの勝ち組に、いいようにされてるなあ と陰鬱憂鬱。



コアな「表現規制反対派」の主張には萎える。ぜんぜん乗れない。

広告物・公共空間でのエロス表現等の内容中身を巡っては、広告主と掲載メディアの権限自由裁量。外野のご意見はご自由にですが、表現規制には当たらず です。業界内ルールや内規であり自主規制。

なぜ自主規制されるかといえば公共性のある存在だからです。広告は不特定多数の人に見せることが前提。広く良さをアピールする。公共空間で掲示するためには一定の配慮は通例慣習常識。世にいるのはポルノ好きのオタク男性だけやないんやで。老若男女。べつに広告主が腹を括ればアヴァンギャルドな広告も掲示可能です(ただし、屋外広告や車体等への広告には各自治体条例などの公の規制が有る。念の為)。広告は法人個人の意志の表明です。どのような広告を選ぶか?言論表現上の自己責任でどうぞ。刺激的。

商業出版社編集の要求する「自主規制」を巡って作家クリエーターが相克激突するのですが、プロ商業作家のみなさんは自主規制にご不満もあらせられるようですが、プロですよね、文筆能力に秀でるのですから得意とされるであろう言論能力で編集者・出版社を説得・論破すればええやん(概ね作家は小、出版社は大という立場であろうから、この正論厳しいですか)。あるいは出版社を変える選択肢もあるよね。究極的には自費出版・同人誌で出す道も用意されている。自由はある。
現行憲法での「出版の自由」はかなり強力、強い保障がされている。明文。改憲後はどうなるか知りませんがね。その保障は無くなるかもですねえ。
弾圧・検閲の合法化は宗教右派カルト与党国会議員がやりたがっていること。「行き過ぎた自由」が大嫌いだという。何がどう「行き過ぎ」かは権力者が恣意で決める。「公共の福祉」から「公益の福祉」に変更されると弾圧合憲化。名実ともにお上の胸先三寸に。中世化、江戸時代化だ。

ガチの表現規制は刑法の「猥褻罪」な。刑事罰もある。公権力による取締り対象である。法令規定上は、厳しい。
(現行憲法の「公共の福祉」にもとづき猥褻に関しては表現規制可と最高裁が認めた。数十年前の司法の判断ですが。古いねえ。)
ウチの国、いまだに男性器が気楽に描けない。自由に表現出来ない。こっちが罰則有りの真の「表現規制」だからね。

あと、ナントカのタブーも有るよね。自由な言が言えるはずだが、暴力団政治圧力団体から何されるかわからないという・・・ 菊 鶴 と何だったかな。検索すると 桜 ですか、ほか、戦後日本ではいくつか。

「フェミ」ですけど、ぜんぜん怖くないじゃん。あたりまえですか。フツーの一般市民国民である。もしも暴力団と同じくらいの威圧と恐怖があるなら、気楽に攻撃できないよねえ ネットで気軽にバンバン悪口も言えないよね ですわ。女性相手だから平気で暴言できるしマウントとれるんでしょう。女子供相手のみに強い なんて かっこわるー そんな 男性オタク なんてねえ・・・白馬と王子様・エスコートヒーローに秘めた憧れはないのかな?

追記補注 男性オタクの一部!! です。全員・全てではありません。注意書きしておかないとヤバい。オレを非難攻撃しているのかー!!イキリたつので危ない。自他境界が薄い、または無い、自他の区別がつかない性格・気質の人たちが多いのを失念していた。
本邦にはとみにおおいんですわ。集団主義の伝統故でしょうね。

「ベン図」の概念を知らない大学生の方も一定数おられるそうで・・・「集合論」、現代数学やコンピュータ・ソフトウェア・プログラムの入り口付近にある基礎的概念なんですけど。当方でもサワリ程度は知ってましたよ。一般教養で習ったこともある。

集合と分類のおかしい世界観。自他境界がない & 主語がデカい オレ=男性全部=日本人全部=世界人類全部 といった他人・他者の意思というものが存在しない世界観です。それ、有り得ないから。

かの国民作家・夏目漱石ももちいた 「個人主義」 というものに、本邦では否定的ニュアンスがあるように。「自由主義」の基盤なのですが。

リベラル(自由主義)は悪??で攻撃対象だが、真のリベラル(本物の自由主義??)とやらがあるとする奇怪さ、学術性ナシ普遍性ナシの、勝手定義やがな です。

昨今の傾国ジャポンの風潮ですけど。中身不明の実力者・権力者(世襲が多い)に 上意下達でヘーコラ従っていればオッケーの 封建社会 やろ、前近代やね。機能組織がナアナア村社会・共同体化した場合、冷徹に合理でチェックする社会機能が飛ぶので、勝てるチーム・組織になるワケあらへんやん。かつては実力抜群であった 経済一流であった 重電メーカーの雄、社員には基本できる人間しかいない 名門立派な「大東芝」のような超優秀な大企業さえも、合理性が吹っ飛んでいる為、国内民間企業は多方面で負けがこんでいるワケですわ、、暗澹。
ひじょうにまずい。経済大国ニホンの大艦隊があらかたヤラレたような状態。日の丸家電、往時往年はメッチャ強かったのになあ、、、昔の話 近代企業と前近代企業が戦えばフツーは近代企業の方が強い。 追記 18/2/25


男性オタク、ネットじゃ声はデカい けど、オタク産業の国内の市場規模としてはどうなん? いちおう資本主義国やから、カネで解決できるハナシが大半やで、カネ払いのいいヤツの企画・政策が通るというか、法人税減税を勝ちとっている財界・大企業は強いですよ、献金・カネの力も大きいねえ、エビで鯛を釣る というか、うまくやるというか金権やねえ、、、


ちなみに、企業の内部留保を増やすのは、マクロ経済学では大失敗の経済政策。日本国の失速の一要因である。東芝と日本郵政が典型例ですが内部留保で海外投資・外国企業を買って巨額損失・大赤字って、日本の資産・富の海外流出じゃん、、、外国で大散財。自称保守にこの種の マジ売国奴 相次ぐ 
(18/2/19文変更 倒錯なんでしょうね、、、たぶん、何らかの「経営学」「会計学」あたりの正義の裏付けがあっての行動なんだろうな、、、という。マクロでは主に米国に収奪されてますが。)

あとですな。マクロ経済学では、個人・法人の所得を増やさないとダメなのに。失敗し続けている。すげえなと。。。倒産・廃業して死ぬ企業よりも生まれて育つ企業の数の方が多くないと経済成長しませんよ。常識、あたりまえ。。。


(18/2/19補足 「マクロ経済学」「ミクロ経済学」「経営学・会計学」 相互にセオリーとされる答えが違います。互いに矛盾する。正反対と言ってもいいくらい解が違う。目的・理想が違うからです。マクロ経済学は国全体の発展興隆・国民の所得重視。ミクロ経済学は産業育成と供給サービスの品質・効用を重視。経営学は一私企業の金儲けの効率の良さ重視 ぜんぜん解が違う。)

(某エコノミスト論客竹中あたりはメッチャメッチャ言ってきた訳ですわ。自身と自身の関与する一部特定企業の金儲けのみを重視という実質政商、、、邪悪でありますね、、、)



経済政策で国を興隆させるのは難しい究極の実地試験・設問ですが、さりとて、この30年間程なんでこんなにマクロ経済学で外し続けてきたのか?悪夢だ暗澹。

経済論客辺りで 「国際競争力」 とかエラソウに言っていた割には、経済戦争では負けたわけですわ。他のライバル工業国に対して敗色敗戦濃厚。日の丸メーカーは世界市場を失いシェアを失い。マクロでもミクロでも経済センス無しの死神・疫病神を高級官僚・財界をはじめ指導者層に数多くいただいている、頭から腐っている国家体制の国であった。。。

この負けパターンは先の戦争に続いて二回目である。

このような風土のクニで、

よく戦後昭和に高度成長したものだ と、逆に感心。こんなに「体育会系」「脳筋」「精神主義」「ムラ社会」の土壌の濃い国民性の国で。奇蹟が起きたと。
敗戦後の焼け跡と混乱状態、行政府の管理が弱くなり、無政府状態的に空いた広いスペースに、空き地に、新しいベンチャー企業・新興企業がたくさん生まれて躍進したんだろうなあと。
戦後昭和・高度成長期の日本はたまたま例外的に商売・経済のセンスが抜群であった。当時、優れた名将・リーダーが主に財界・民間人にいましてね、無謀なバカな大戦争でえらい苦労したという戦争実体験のあった人たちでもある。その面では驕らず用心深さリアリズムがあったものと。アメリカ合理主義にも倣ったものと(ただし日本式経営に顕れたように全てではない)。その天才たちの指揮下で日本人が得意とする集団主義・集団戦法が大当たりしたと。そう見てます。
東西冷戦下の世界構造に戦後日本国はうまく嵌まった。好運であった。日本史で空前絶後の黄金時代絶頂期でしょう。GDP世界第二位の地位は二度と来ないだろうなと。
天才を欠いたまま、シバキアゲやっているんで自滅する一方ですな。中産階級の撃滅 国内市場の縮小 各産業の衰退 外資によるアレコレ搾取収奪 米国様から費用対効果のきわめて怪しいバカ高兵器を売りつけられ と、つらいですねえ。。。
しかし平成日本国ですがヒト・モノ・カネの三つとも有していたのに衰退させるなんてスゴイねえ、悪い意味で。。。

経済ネタに大幅に脱線しましたが、話を戻して、

「表現規制をするのはフェミニスト」?? 「女の敵は女」?? という意見主張は、偽の命題だ と判定しています。詭弁である。針小棒大、一部を全体に敷衍、誤りだ。

「表現規制をする権力があるのは男性社会の権力者たちである おもに勝ち組のジジババですな。(一部に女性もいるが男が主)」 高級官僚 財界大物 与党政治家、裏社会・芸能界の実力者フィクサー 等々。

「女の敵は男である場合のほうが多い」 仮に、男が女の永遠の味方だと仮にするならば、夫婦間で離婚なんて起きませんよ。永遠の愛を誓い合ったカップルも別れない。つーか、DV問題って何?

元および現役DV夫はフェミガー的な強烈な女性憎悪の陥るようですね。聞くところによると。
DV男性は、殴っておいて、オレを見放すな とか、愛を要求するらしい。いかれてる。「この人を助けられるのは私しかいないわ」と母性本能を刺激する、甘言が巧いそうですけど。へぇー

あと、職場で女性同僚あたりから口喧嘩で凹まされている男性の場合も「女性憎悪」に敷衍されやすいようにおもわれ。たいへんだとはおもいますが、職場のローカルな問題であって、人類に共通の問題じゃないです。人間関係です。職場の人権問題です。

(後述しますが当方も女嫌いの心性を長年患っており、十代の頃、身近な狭い範囲でキツい女性から攻撃されたという苦痛からの敷衍ですね。数例数件数人。未だにトラウマ外傷であるなです。)

また、母親との関係で、ママへの思慕の心情が、聖女と悪女 の二つに分裂したまま、中高年になってしまった男性オタクの方々は多い とおもわれ。

仰ぎ憧れる対象と憎悪し罵倒する対象。聖と卑が分裂してしまい、極から極へ極端に揺れる心情の描写として、太宰治の短編小説の傑作 『駈込み訴え』をどうぞ。同一対象であるのに、極端な聖化美化と、極端なこき下ろしとを、極から極へ往復する。精神医学方面では長らく「境界例」などとも呼ばれるカテゴリです。今は別の分類名もあるのかな。

「境界例」は大作家・文豪・芸術家によく見られる気質傾向でして。芸術家の創造力・創作力には必要な気質であるかもしれませんが、日常生活では傍迷惑な性格気質です。美化と悪魔化。崇拝守護と攻撃破壊。ヘタするとサイコパスです。。。やばいわー です。やめてー

ここまで書き記して ホント萌えない・・・萌えないごみだー リアルワールドのハナシ 塩味

抽象化して書けばいいのに、まあかなり具体的に書いてしまいました。どうしよかなと。ただ、当方筆者も現実世界を生きる者の一人でありますからね。当方は生身の体と知性を有する。活動中。


そうそう、ネット言論を眺めているうちに、ミソジニー(女嫌い・女性憎悪)はほぼ無くなりました。以前は幼少期より強固強烈に女嫌いの要素気質があったのですが、解毒され、解消され。気持ち的には、どーでもよくなった。
小さな人生ながら 自分の中では大きな変化です。(この変化をなんとか作品に昇華させてみたいものだ)
ルックスでトクしている美人・美少女なんて極少数、ストーカーが現れるリスクも負っており、真にトクかどうかは何とも。
一般女性は男性権力社会では低位であり、良く言って補完的補助的でありますな。
弱者女性にはいたっては悲惨です。辛いものです。
部分的に優位?とされる女性が憎まれているのかな。個別のケースを一般化はねえ。世界人類レベルで男女比は半々。異性は、暗くて深い河。性転換された人以外は相手の性を知らない。男女の話は大衆通俗作品の一大テーマでしょう。上手く掬うと『君の名は。』のように超大ヒットします。男女入れ替わりネタはサブカル・オタク作品の鉄板。



18/2/28 分離・移設 エッセイコーナーの方に置き

ひんみり


essay index

超・姉弟

top